『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 早川書房

わたしを離さないで

わたしを離さないで

 生きていればいるぶんだけ後悔は増えていく。生きているということはつまりなにかを選択することであるしそれだけ可能性をつぶしていくことでもある。だから過去を振り返りつぶしてしまった可能性を思い描き、その先を夢想して甘美な思いをめぐらすのは良くある事だと思う。でもその当然のことができないと?そもそももとから可能性がないなら、いったい人生を振り返ってみてどういった感情を抱くのだろうか?
 語り手はキャシー・H。介護人の仕事をしており、へールシャムという閉鎖的な寮の出身であり、寮での生活やそれを出てからなどの三部からなっている。回想という体裁をとっているため、しばしば話が前後してしまうが読みにくさはまったく感じなかった。話は寮においての生活や人間関係が中心であり、ほのかに背後の世界が見えてくるのであるが、世界を提示する文は突然出てくるのでびっくりする。けれど語り手にとっては当然のことであるからそこで読み手と語り手の間に落差が生まれる。その落差を保持したまま読みつづけると、読み手の辿ってきた(辿っている)生活と変わらないと考えていたキャシー・Hたちへールシャムの人々の生活が突然違うものに見えてくる。友達と仲たがいしてしまって、仲直りのきっかけがなかなかつかめない、というエピソードもほんとに感動的にうつるなあ。イシグロの作品は他に『浮世の画家』と『日の名残』の二作品を読んだことがあるり、その二つの作品は父‐子や師匠‐弟子の憧憬や抑圧といった関係が書かれていたが、今作品は一切なし。隔絶、断絶。
 問題はこの作品がSFであるかどうかだが、僕はSFであると断言したい。技術的な面から申し上げるのではなく書かれたのがイギリスであるからだ。H・G・ウェルズが「タイムマシン」を書いてから百年以上たつが、僕たちと彼ら、もしくは彼らと僕たちを巡る話は百年後も書かれつづけているだろう。そのことが僕は少しかなしい。