[感想」イアン・マキューアン 宮脇孝雄訳 『最初の恋、最後の儀式』 早川書房

 いきなりだけれど感想の書きだしというものにはいつも悩まされる。どう切り出してよいやら考えこんでしまう。なにもまえふりを置かず自分が思ったことをだらだら書きつらねられば問題はないのだが、自分で書いていて唐突な印象を拭いきれない。それであれこれ悩んで結局感想を書かないパターンが多いのだけれど、少ないながらこれまでに感想を書いてきた。その分岐点がなんだったかと考えてみるとやはりおもしろかったという事だと思う。おもしろかった本でも書かない場合はあるけれども、まあ今は考えずにいよう。
 今考えるのはイアン・マキューアンの短編集、『最初の恋、最後の儀式』だ。原書は1975年に出版されていて、31年前の作品であるが、31年の月日があるからなんなんだという作品。
 巻頭の「立体幾何学」は、「面のない平面理論」「次元は意識の機能である」などとよくわからないことを書いているが、その理論を実践している様子が実は読みどころのように思う。情景を思い浮かべて見ると、なんというかおもわず忍び笑い。こういう作品を載せる≪アメージング≫はほんとうにすばらしいと思いましたね。
 「自家調達」はルビがおうちでエッチ、なんて素敵なルビだろう。まずは手近にレベルアップという精神はすばらしいね。
 「夏が終わるとき」は擬似母殺しと解説に書いていてははーなるほどねーと思う。ははーなるほどねーでだいたい僕がどのように感じて、感じずに読んでいたかはあらかたわかっていただけるのではないかと思います。
 「劇場の大将」は、「ついやってしまった」ですね。おそろしくアホなシチュエーションだけれど、なぜか作中の空気はわびしい。こういうギャップは読んでいてとても楽しい。
 「蝶々」は、少女の唇をこする場面の方がエロティックでたまらない。ナニをこすってピュッピュピュッピュな場面もあるんだけれど、到底及びませんね。リチャード・マシスンのある短編に、チョコレートかなにかを貪り食う場面があって、食べているのはおじいちゃんなのに妙に官能的で困ってしまったことがあったのを思い出した。あんまり濃密な描写じゃないので、上手く想像力を刺激させられたのかもしれない。あんまり分析するとこっぱずかしいことまでわかるかもしれないので深く考えないでおこう。
 「押し入れ男は語る」は目次を見て期待した作品だったんだけれど、バカ話じゃなかった。1ページ目から異様な独白ではじまっていくので驚くけど、しっかりした話だった。こどもに依存的な母親、束縛されることに喜びを感じるこどもという構図は見事な倒錯っぷりだ。踊りで自我が解放されるとあるけど、解説にあるドラッグ類を楽しんだ経験が生かされているのかもしれない。
 「最初の恋、最後の儀式」はアンニュイでとても良い。夏のくそ暑い中でのだらけた生活が絶妙にうまい。読んでいてゲンナリするくらいだから相当だろうと思う。だからラストはすがすがしい。下腹部に掌を当てるところが大好きです。
 「装い」に出てくるミナは嫌な母親だ。226ページのやりとりはとてもおぞましい。
ヘンリーとリンダとの出会いは、読んでいて気持ちが良くなるほど初々しいけれど、ヘンリーとミナの関係から考えてみると関係に亀裂を生じさせるものでしかなく、歪みを増幅させるものでしかない。女装を迫られた場面では靴を片方脱ぐことでしか抵抗を示せなかったヘンリーが、ワインを飲んで酔っぱらった時に「ぼくはヘンリーだ」と言う場面は「押し入れ男は語る」で踊りによって自分が自分を忘れられると言った事と同じだろうと思う。自我の解放には外在的な力によって刺激されないと駄目なのだろう。この編がベストだった。