三崎亜記 『バスジャック』 集英社

 バスという単語で連想するのは嘔吐である、いや嘔吐なんて哲学的な言葉じゃなく、もっと汚らしい言葉のほうがあっている。つまりゲロだ、これがいい。というわけでやり直そう。
 バスという単語で連想するのはゲロである。過去を振り返ってみて人がゲロを吐くのを見たのは、バスに乗っているときだけだ。吐いた人間に聞いてみると、どうやらバス特有の匂いがだめらしい。タクシーに独特の匂いがあるのはわかるんだけれど、バスに匂いなんかあったかなあとその時は首を捻ったものだった。
 匂いがあるかどうかはよくわからないけれど、バスでゲロを吐く人間は多いという、何人もうならすことができる物的証拠というのがある。それはゲロぶくろである。
 座席の背中部分にあんまり役に立ちそうにないのに、どのバスに乗っても設置されている網ポケットのなかに、いつもゲロぶくろはたたずんでいる。楽しい旅行や遠足の時にそれを見ると、なんとも言えない違和感を感じたのを覚えている。
 『バスジャック』に収録されている7篇の物語には、なんとも言えない違和感を喚起させるものが日常にまぎれ込んでいる作品が多い。「2階扉をつけてください」が典型的で、2階扉がどういうものかよくわからないし、工事を行う業者も意味が通じない行動をとっている、と本気で書いているのかもよくわからない作品だ。後半の「先住民」と「渡来人」のくだりは、7篇のなかでもっとも長い「送りの夏」につながる部分があるようで重要な気もするけれど、まあそれはいいや。違和感、楽しませていただきました。