森見登美彦 『太陽の塔』 新潮文庫

 大学生の本分は勉強なのだが、本当にまじめにはげんでいる人間というのはあまりいないと思う。少なくともぼくの周りにはいなかった。類は友を呼ぶという言葉があるがここでは忘れることにしよう。勉強にはげまないでなにをするか?それはひとそれぞれだ。サークルにはげむのもよし、コンパに精を出すのもいいかもしれない。あるいは、バカなことに力を注ぐという人もいるだろう。ある人間を観察し、240枚ものレポートを作成するといった、人からは見向きもされないようなことに注いではいけない資源までつぎこんでしまう。そこには痛々しさが漂っているのは否めないけれど、嘲笑することはできないないあ、すぐさまその嗤いは自分に返ってくる。この小説、身につまされすぎる。おもろうて、やがてかなしき。
 夜を徹して鍋をするというのは大学生に与えられた特権といっても過言ではないと思う。はふはふ言いつつマロニーをつるつる吸い、舌をやけどしてひいひい言い、水をごくごく飲み、にっこり照れ笑う。しかし夏にはできないという欠点も残念ながら持っている。だもんで夏に集まると麻雀をする。別にお金なんて賭けない、楽しむためにするのだ。それでも眠くなる時もある。そして睡魔に襲われ、はっと気づいた時には、霧吹きをかけられ股間は濡れてひんやり、鼻には異物感がある。抜いて確認するとポッキー1本。
 そしてとてもどうでもいいはなしをする。共産党宣言をとくとくとして語り、森鴎外について一席ぶち、ある女との100年ぶりの逢瀬という一夜の夢を語る。そして恋のはなしをするのだ。そんな生活を、描写を、送ってきたのである。
 非生産的なことをしているのはわかっているけれど、悲しい戦いを始めたからにはもう止められない。弱音をはいていいのは炉で肉を焼き終わった後の余韻の中でぽつりと言う時だけだ。あのシーンにはぐっとくるものがある。夢玉の場面といい、飾磨の短い言葉には惹きつけられるなあ。
 力足らずで伝わりにくいと思うが、懐かしいことを語りたくなるほどおもしろかったということでなんとか御寛恕頂きたい。
 今年は多分行けないけれど、来年の京フェスに行くときには叡山電車に乗ることにしよう。