[感想」テリー・ビッスン 中村融訳 『赤い惑星への航海』 ハヤカワ文庫

 テリー・ビッスンの、人類初の有人火星飛行を題材にした、正統的なハードSF。ビッスンらしく、NASAが売却されていたりと、風刺的な部分もちらほら見られる。
 ビッスンらしさは、より細かい部分にもちりばめられている。本文にはいってから2ページ目には、『世界の果てまで何マイル』や「熊が火を発見する」のような牧歌的なアメリカ南部に、会話と小道具でいざなってくれる。印象的な風景描写があるわけではないが、なんとも心地よい。
 風景描写は、火星への着陸の時に冴えを見せる。美しい風景が、高度や速度の数字読みと同時に、パノラマ風に展開していく2部後半は作中の最大の見所である。
 3部の後半には、大きなはなしと小さなはなしがあるのだが、大きなはなしにはあまり興味をそそられなかった。小さなはなしのほうは、センチメンタルであり賛否両論ありそうだけれども、僕は断然支持である。
 ネットをあさってみると大きなほうはヴォネガットだ、という指摘を見つけることができるけれど、小さなほうはあまりふれられていない。わざわざ書かなかっただけのような気がするが、まあいいや、書いておこう。この部分を読むと、ある短編を思い起こすはずである。別にビッスンが意識したかどうかは良くわからないが、状況といい人物の造型といい似ている。さてどちらのほうがいいかであるが、たとえマッチョというそしりを受けようとも僕は『赤い惑星への航海』のほうに好感を持つ。ウェットでべたべたなセンチメンタルさよりも、言いたいことを全て言わないカラッとしたセンチメンタルさのほうがいいじゃないかと僕は思う。
 思い起こさない人もいるかもしれないが、それはそれでしあわせだ。

[感想」イアン・マキューアン 宮脇孝雄訳 『最初の恋、最後の儀式』 早川書房

 いきなりだけれど感想の書きだしというものにはいつも悩まされる。どう切り出してよいやら考えこんでしまう。なにもまえふりを置かず自分が思ったことをだらだら書きつらねられば問題はないのだが、自分で書いていて唐突な印象を拭いきれない。それであれこれ悩んで結局感想を書かないパターンが多いのだけれど、少ないながらこれまでに感想を書いてきた。その分岐点がなんだったかと考えてみるとやはりおもしろかったという事だと思う。おもしろかった本でも書かない場合はあるけれども、まあ今は考えずにいよう。
 今考えるのはイアン・マキューアンの短編集、『最初の恋、最後の儀式』だ。原書は1975年に出版されていて、31年前の作品であるが、31年の月日があるからなんなんだという作品。
 巻頭の「立体幾何学」は、「面のない平面理論」「次元は意識の機能である」などとよくわからないことを書いているが、その理論を実践している様子が実は読みどころのように思う。情景を思い浮かべて見ると、なんというかおもわず忍び笑い。こういう作品を載せる≪アメージング≫はほんとうにすばらしいと思いましたね。
 「自家調達」はルビがおうちでエッチ、なんて素敵なルビだろう。まずは手近にレベルアップという精神はすばらしいね。
 「夏が終わるとき」は擬似母殺しと解説に書いていてははーなるほどねーと思う。ははーなるほどねーでだいたい僕がどのように感じて、感じずに読んでいたかはあらかたわかっていただけるのではないかと思います。
 「劇場の大将」は、「ついやってしまった」ですね。おそろしくアホなシチュエーションだけれど、なぜか作中の空気はわびしい。こういうギャップは読んでいてとても楽しい。
 「蝶々」は、少女の唇をこする場面の方がエロティックでたまらない。ナニをこすってピュッピュピュッピュな場面もあるんだけれど、到底及びませんね。リチャード・マシスンのある短編に、チョコレートかなにかを貪り食う場面があって、食べているのはおじいちゃんなのに妙に官能的で困ってしまったことがあったのを思い出した。あんまり濃密な描写じゃないので、上手く想像力を刺激させられたのかもしれない。あんまり分析するとこっぱずかしいことまでわかるかもしれないので深く考えないでおこう。
 「押し入れ男は語る」は目次を見て期待した作品だったんだけれど、バカ話じゃなかった。1ページ目から異様な独白ではじまっていくので驚くけど、しっかりした話だった。こどもに依存的な母親、束縛されることに喜びを感じるこどもという構図は見事な倒錯っぷりだ。踊りで自我が解放されるとあるけど、解説にあるドラッグ類を楽しんだ経験が生かされているのかもしれない。
 「最初の恋、最後の儀式」はアンニュイでとても良い。夏のくそ暑い中でのだらけた生活が絶妙にうまい。読んでいてゲンナリするくらいだから相当だろうと思う。だからラストはすがすがしい。下腹部に掌を当てるところが大好きです。
 「装い」に出てくるミナは嫌な母親だ。226ページのやりとりはとてもおぞましい。
ヘンリーとリンダとの出会いは、読んでいて気持ちが良くなるほど初々しいけれど、ヘンリーとミナの関係から考えてみると関係に亀裂を生じさせるものでしかなく、歪みを増幅させるものでしかない。女装を迫られた場面では靴を片方脱ぐことでしか抵抗を示せなかったヘンリーが、ワインを飲んで酔っぱらった時に「ぼくはヘンリーだ」と言う場面は「押し入れ男は語る」で踊りによって自分が自分を忘れられると言った事と同じだろうと思う。自我の解放には外在的な力によって刺激されないと駄目なのだろう。この編がベストだった。

SFマガジンその後4冊読んだのですが、感想を書く気力が湧いてきませんでした。もっとのんびり読んでいくことにします。SFマガジンを読まず、4月は多く本を読んだほうなのだけれど、特におもしろかった本の感想を書きます。

[SFマガジン」 1963年9月号(47号)

 「三人が帰った」 A・トミリン
相対論的効果による、地球と宇宙船内の時間の差というテーマを取り扱っている。その差から来る父親の感慨は良く描かれているけれど、地球を知らない息子をもっと突っ込んで描いて欲しかった。
 「変身処置」 チャールズ・ボーモント
今現在でも、恐らくこの先人間が社会生活を営んでいる限り、数パーセントの人は「自分の事が書かれている」と考え、なにかしら得られるんじゃないかと思う。僕もわかることはわかるのだが、何かを感じるには年をとり過ぎている。
 「招かれざる客」 ロジャー・ディー
5ページの小品であり、オチが唐突でひねりもなかった。
 「果たされた期待」 A・E・ヴァン・ヴォグト
計算機の話だけど話の展開がおもしろく、あんまり古びていなかった。
 今になっても名前が覚えられている作家というのは、当然だけれど良い作品を書いていたと、ボーモントとヴォグトが証明している。前号がおもしろくなかったのは特集が合わなかったのだろう。次の号もおもしろくなかったら読み続けるのも嫌になっていたかもしれないけれど、杞憂に終わって、良かった良かった。

[SFマガジン」 1963年8月臨時増刊号(46号)特集!SFセクソロジー

 SFセクソロジーとは、ユーモアと、エロチシズムの結びつき、らしい。まあとにかく個々の作品の感想を。
 「砂漠の女」 デーン・カーネル 田中小実昌
企画第1番目の作品なのに、なんて感想に困る作品だ。あまりに謎、というか都合が良い話だなあ、という以外に感想はない。
 「異次元の肌」 ロス・G・スミス 北山宏訳
びっくりするほどの願望充足ぶりだ。そして、ああ、電子計算機、おお、パンチカード
 「裸女が戦う」 リチャード・レン 矢野徹
ジムは税務監視官であり、ひよわなインテリという印象を持つが、最後に突然マッチョな人間になってセンス・オブ・ワンダー
 「夜の恐怖」 ロバート・シェクリイ 吉田誠一訳
うん、シェクリイらしくひねってくれて、まあ楽しかった。
 「悪魔の火」 ジョージ・トーマス 川村哲郎訳
ユーモアとエロチシズムはわかるけれど、出てくる女みんな尻が軽くて困ってしまう。探偵が行う妖術はばかばかしくて良い。
 「ルシア遊学」 グレン・ブラウン 好田欣一訳
すいません、もう何も書くことがないです。
 「ワープする欲情」 ジョー・フライデー 福島正実
他の作品よりできは良かったけれど、とりたてておもしろいという事はない。

 古いのはある程度覚悟していたけれど、今読むとしんどい作品が考えていたよりも多くて驚きます。技術的な部分の腐りならあんまり気にならないんだけど、小説としてあまりに問題があるのは、特集のためだろうか、そう信じたい。

 SFマガジン掲載のビッスンのノヴェラがあまりにもすばらしかったのと、次のオールタイムベストを決めるときまでにはSFマガジンぐらい読んでおいた方が選択の幅が広がって楽しいだろうなと思うので、ここはひとつSFマガジンのバックナンバーを読んでいく事にします。短編を読むのが一番好きだというのも大きな理由です。古本屋をめぐって購入していくのにはあまりに時間がかかり過ぎ、探している間に意欲が失われそうなので図書館を使う事にします。最新号は常に買っていくので許してください。
 その図書館の蔵書を検索してみると、1963年8月臨時増刊号から欠ける事なく所蔵しているようなので、この号から読んでいきます。これが46号であり、僕がSFマガジンを購入しはじめたのが2003年12月号、通算572号なので、500冊以上あります。8年後におそらくまたオールタイムベスト投票があると思うので、それまでには読みきりたいですね。
 読むといっても全文読んで行くのはさすがに疲れるので、読む箇所を限定します。また、感想を書く際の基準を決めておこうと思います。
・ 海外作家の短編は全て読む。前編、後編など号をまたがって掲載されている作品も読む。感想はどんなにおもしろくなくても、なにか書くことにする。
・ 長編を何回かに分けて掲載している作品は、今現在ハードカバーや文庫などで読むことのできない、絶版の作品は読む、そうでなければ読まない。感想は最後のパートを読んだ後に書く。
・ 日本人作家短編は読むけれど感想は書きません。長編は多分読みません。日本人作家特集の時は感想を書く。
・ ノンフィクション、エッセイは読んでも感想は書かない。